@leftlateral ありがとうございます。今ちょっと思ったのは、宗教そのものは平等で差別を認めなくとも、差別主義者が宗教をしてしまうと、宗教そのものが差別的に見えてしまうというのはあるかな、と。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
@jiei_yushi はい、あと、その文句言ってる人の実際の経験でも聞かないと。日本の方の多くは先ずは相当の宗教音痴ですからね。日本の多くの人は「期待しすぎの思い込みのしすぎ」が多いですので、それを裏切るとすごいですからね。
— decubitus (@leftlateral) 2014, 4月 11
@jiei_yushi 私もその一人なのであまり強く言えないのだがある程度宗教の教育を受けた人は道徳的に informed ですよね。なので、何か決める時その情報を使ってしまう、洗脳されたように。しかし、その情報がその人を正直にさせるのか、喜びを与えるのか、純粋にその人が望むのか
— decubitus (@leftlateral) 2014, 4月 11
@leftlateral その思い込みの概念を一つ一つ剥いで辿り着いたものが真理だと信じているのが仏教なんです。仏教が起こった時代はバラモン教という旧態依然とした宗教があって、それで救われるとされていたけれども、それに果敢にチャレンジして人間の思い込みを暴いたというわけですね。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
あるいは、「自分というのは思い込みの集合体なんだ」と割りきっちゃってるんですね。RT:@leftlateral おーなるほど。真理に辿り着くのに自分がひと時見えなくなっちゃうかもしれませんね。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
@leftlateral 自分の正体、真の自分なんていっても、結局はそういうもので実体がないよねということで「無我」っていうことになるわけですね、仏教では。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
@jiei_yushi 他人のアイデアをパクらずにクリエートというのがちょと難しくて、例えば、事故とか災難とかに遭っても乗り越える何かをクリエートしなさいという訳どすな。
— decubitus (@leftlateral) 2014, 4月 11
@leftlateral まあでも、真にクリエイトできるのは創造主だけですから、クリスチャンとしては、そういう意味では真似でいいんじゃないでしょうか?人まねということではなくて、主の真似ということですが。そういうものでもないのかしらん。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
@jiei_yushi 天の父はたまに矛盾してて、自分でクリエートせえと言ってみたり、必要な物は祈る前から与え取るわちゅってみたり、どっちだよ今回はと思うことあります。仏教は自分で何でもやらなくてはいけないので厳しいですね。
— decubitus (@leftlateral) 2014, 4月 11
自力と言って何でも自分でやるウチのようなところも大変ですが、絶対他力といって自分の力を絶対に認めないところも、やっぱり大変そうです(笑)RT:@leftlateral 仏教は自分で何でもやらなくてはいけないので厳しいですね。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 11
スコット先生の心情を(続きも)勝手に妄想してみました。すみません。
#花子とアン #花絵 pic.twitter.com/bBBoTq768D
— neco. (@neco_cc) 2014, 4月 11
やまかがローカルだと知ったときに世界の広さを知りました
— 浦島もよ (@monoprixgourmet) 2014, 4月 11
早花だん。うーん、「赦し」の意味合いが曖昧だなぁ。これだとキリスト教的な「赦し」や「寛容」に見えないし、メソジストの規律的な教義と矛盾しないか?
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
少なくともミス・ブラックバーンの「赦し」のセリフには、キリスト教的なニュアンスを入れるべきだろう。それ以外に、この状況ではなを赦免する論理はないと思う。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
「コピペで落第をまぬがれた」朝ドラの主人公(10歳女児)は、深く反省しているという以外のなんの理由もなくただ、許された。そして更生し、立派な人物に(多分)なる。これが多分、日本人の好きな美談的解決。(科学者以外の)みんながOさんに同情的なのも感情の起源は同じ、はないかな。
— 田口善弘 (@Yh_Taguchi) 2014, 4月 11
てか、キリスト教的な倫理観を抜きにして、村岡花子の生涯を描く意味ってあるのだろうか?
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
ブラックバーン先生があそこで「英語を学ぶと強くなります」と急に言い出すのは作り手の気が急きすぎてるのではないか…?そこは「スコット先生に謝りたいなら英語を学んで自分の口から伝えなさい」だけでそれで花が自分で手応えを感じる展開だけで良かったのでは…。
— ひとみ (@HMIshikari5425) 2014, 4月 11
昨日の演出からすると、制作サイドはキリスト教的な「懺悔と赦し」のニュアンスを出そうとしているとは感じるのだが、明確なセリフのやり取りとして描かないと伝わらないだろう。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
退学になるかならないかも、なんだか有耶無耶にされちゃったまま進級したのもなあ…。「謹慎したし、誠心誠意謝ったので今回は大目にみます」扱いなんだろうけど、なんだかなぁ。ミスやピンチの起こし方についてはきちんとしてるのに、そこからの回復はなんだか雰囲気で流してるような所が気になる。
— ひとみ (@HMIshikari5425) 2014, 4月 11
即退学にならなくてよかったね。。かをる子さんは醍醐さんがお掃除さぼってたのを知ってた!
— sara (@saralin) 2014, 4月 11
ははーん、実はブラックバーン先生、日本語結構分かっているな。 #nhk #花子とアン
— 村上由美 Yumi Murakami (@coachmurakami) 2014, 4月 11
なぜ「花子と呼んでくりょう」は英語で言わないの?
— sara (@saralin) 2014, 4月 11
2週目まで見て、本編であまり伝わってこなかった部分。
花子がなぜ名前にこだわるのか。なぜ本を読みたいのか。なぜ学ぶのか。なぜ英語なのか。皆は花子のこと、どう思っているのか。花子は何を考えているのか。
大人キャストにチェンジするので、この辺りを踏まえながら視聴しよう。 #花子とアン
— ましろ (@mashiro_gochi) 2014, 4月 11
許される理由がイマイチ分からんけどね…。ブラックバーン先生が影であの子はできる子よ、みたいなこといってくれたりすれば納得もするのだけど。説明、ないよね…。まあごちもそんなとこあったし、朝ドラはそういうのが普通かな?と思えば良いかな
— えつだむ (@kwaicoetsuco) 2014, 4月 11
こう…花はキリスト教精神みたいなので赦されたのか、それとも学業の芽を認められてもう一回チャンスを得たのか、どうもその辺がぼやかされた感じがして
納得いかないの…。
— ひとみ (@HMIshikari5425) 2014, 4月 11
はなが友達はいないっておとうに言ってて醍醐さんは?と思ったけどお掃除サボってたらそりゃダメよね。そしてそれをちゃんとわかってたかをる子さん( ̄ー ̄) #花子とアン
— カフェラテ (@luna_0621) 2014, 4月 11
5年経っても自分用の辞書がないのか。不便だな #花子とアン
— アヤ先生 (@_aya_sensei) 2014, 4月 11
ミス・スコットの「赦し」はいかにもキリスト教的寛容の現れといった風情だが、それが花子の「改悛」に対するものなのか、「英語頑張りました」へのものなのか、見ていて判断に困る。やはり「英語学習への目覚め」にこうした改悛の物語を選んだのは失策だったのでは?
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
文章は借り物だったとしても、歌は本物だと分かってたのかな、ブラックバーン先生は。この子は、やれば出来る子だと。教育者として、ダイヤの原石を見つけた気持ちだったのかな。だから即座に退学にしなかった。いつ復学させてやろうか、機会をうかがっていた気もする。#花子とアン #NHK
— 美夜(MIYO) (@miyo_soranekoya) 2014, 4月 11
リアルでもネットでも私の身の回りでそういう人がいないから世論がおぼかたさんに同情的になってるっていうのがわからんかったけどFacebookで「彼女は悪意ないミスをしただけで犯罪ではないし、理研が悪いし、彼女を応援してる!」とかいう投稿に2万いいねぐらいついてて完全に理解した。
— うさぎ (@bhfplcmz) 2014, 4月 11
この展開だと大事なのはやる気って話だと思うのよ。多分、勉学の意欲があるなら、多少能力がおっつかなくても退学はさせない、というポリシーがあるんだと思うけど、それをどこかで見せて欲しかったかなあ。はなが英語が分からなくてやる気出ないというあたりもちょっと分かりにくいしね #花子とアン
— 蓮花茶@実況中 (@lotusteajikkyou) 2014, 4月 11
醍醐さまの罰当番のサボリが、きちんと表現されていた。それが、花子の免罪符に見えるってのは人間に厳しい見方かな #花子とアン
— 高橋真直 (@t_massugu) 2014, 4月 11
解せないのはねー、文字が全く読めなかった子供が、どうして本が大好きなんだろう?母親も文盲だったから読み聞かせもしなかったろうし、字の読める父親は不在が多かったと言うので、せいぜい絵本の絵に興味を持つくらいで、文字に意味があるなんて幼児が思うだろうか? #花子とアン
— ひかり(^ω^)しぃ (@hikarisea) 2014, 4月 11
また、ミス・スコットは長期にわたって、しかも重要な役回りで使われるキャラなので、花子との和解の論理が曖昧では、視聴者にモヤモヤが残ってしまう。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
私でも校長先生の英語が何となく聞き取れたということは(はなが聞けるよう)ゆっくり話してくれてるんだね。#花子とアン
— なぎ (@soudane1017) 2014, 4月 11
はなが英語以外の授業で頭角をみせるとか、ブラックバーン校長が目をかける理由が説明されるといいんだがなぁ。 #花子とアン
— tamic (@tamic53) 2014, 4月 11
思っていたより納得の行く展開でホッとした。ブラックバーン先生には「ある程度日本語のニュアンスが伝わっている」と考えるのが自然なんだろう。でも何であの日に限って父が学内に面会に来たのか?という無理矢理感はなくもない。にしても、不憫な兄が花子の手紙に微笑む場面は泣けた。 #花子とアン
— r i o n (@ri_on0044) 2014, 4月 11
結局女学校に入ってから英語に興味を持つまでの時間ってどれくらいかかったのかしら?語りで「この時から」とか、「こうして」とか言われても経過わからないんですが(>_<) #花子とアン
— あおい (@aoi616) 2014, 4月 11
東京朝日新聞昭和17年1月25日の一面広告は、「大東亜戦争」特集の雑誌広告で埋まっている。開戦わずか1月半でよくもここまで記事を集められたものだ。「売れるんだから愛国本もしょうがない」とかと言っていると、いずれこんなありさまになる。 pic.twitter.com/khpSi0IHIn
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2014, 4月 11
また、「懺悔と赦し」と「英語への目覚め」を同時に描くとしても、それがコピペ事件である必要があったか、という問題はあるな。より軽い罪というか、プライベートな問題でミス・スコットとトラブルになって、「改悛」の気持ちを表すために英語を頑張る、なら問題なかったわけで。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
コピペ事件も「赤毛のアン」シリーズからの引用らしいのだが、チョイスを間違えたとしか思えない。これではかえってメソジストへの誤解や偏見を招きかねない。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
最初の頃に、「STAP細胞のアイディア自体に内在する物語が出来すぎててヤヴァい」みたいなことを言ったけど、「過酷な環境に置くことで価値ある何かに変質する」と謂うのはかなり人間的な価値観にアピールするんですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 11
自然科学は人間的な価値観とは関係ないと謂っても、それは人間的な価値観なんかおかまいなしにそう決まっていると謂うだけの意味だから、たまたまそれに合致する自然現象が実在する可能性はあるわけだけど、そんな出来すぎた物語が本当だったら結構ヤヴァいじゃないですか。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 11
だから、あの手の人間的な価値観に合致したアイディアを思い附く人って昔から腐るほどいたわけで、でも自然科学の法則って徹底的に人間につれないから大概はニセ科学になっちゃうわけなんだよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 11
ハフポは私の記事を引用した記事に「悪いのか?」なんて稚拙な見出しはつけないでほしい。ミスリードさせてしまう。 / 小保方晴子さんが悪いのか? ハフポスト・ブロガーはこう見る【STAP細胞】 http://t.co/iJDMGni7r3 @HuffPostJapanさんから
— クマムシ博士 (@horikawad) 2014, 4月 11
八重の時もキリスト教理解がアバウトで、見ていてかなりイライラしたのだが、花子もそうなりそうな悪寒が。。。キリスト教は世界宗教ではあるが、日本ではマイノリティで、教義に対する誤解や偏見も根強いのが現実。公共放送がそれを悪化させてどうする?
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
自分はキリスト者ではないが、自分の信仰する宗教や思想体系が過度に歪曲されて描かれる事態を想定すれば、事の深刻さは容易に理解できよう。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
色々異論ありますが、ここはやはり、はなの歌が全てを決めたように思っています。世の中そんなところがあるよ、と思う私はまだ本当の泥を漁ってないのかもしれないけど。#花子とアン
— 中野まゆ 純愛ベイベー (@m_ayuna) 2014, 4月 11
STAP細胞だって、論文の大風呂敷を大雑把に要約すると、生命には生存への本能があるはずだから過酷な環境に置かれたら何か凄いことが起こるはずだ、みたいな出発点じゃないですか。それが本当だったらそのストーリー自体が本当だったと見なされるから、かなりヤヴァいですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 11
大学なんかでは名前を言ってはいけない例のあの人的な扱いですね
— うさぎ (@bhfplcmz) 2014, 4月 11
あれって要するに、「おまえも生き物なんだから生存への本能があるはずだ、過酷な環境にぶち込んだら何か凄いことをするだろう」みたいなロジックと何も変わらないんですよ。その発想ってどこも素晴らしくも画期的でもないじゃないですか。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 11
八重も花子もそうだけど、官兵衛のエレクトリカルパレードをみても、キリスト教描写に嫌な予感しかしねえ!
— きつり (@kizury) 2014, 4月 11
「メディアは鳥取大の成果をなぜ報道しない」ってあなたね、ふつうに考えたら新技術や新発見への報道は慎重になるべき、というのが STAP 細胞のあの件を受けて学ぶべきことじゃないの?
— 11uk3w (@11uk3w) 2014, 4月 11
うん、わたしも、ブラックバーン校長は、あの歌ではなの耳の良さに期待したのかな、と思います。あと、自分の退学云々よりスコット先生にとにかく謝りたい!というはなの言葉を聞いて、心根は腐ってない、と、だからこその「英語を学べばあなたは強くなる」発言かなぁ、と。それで納得です。
— 潮騒のみるきい@drama (@drm_milkylucy) 2014, 4月 11
とりあえず今日の展開がスッキリしないという意見がTLだけでもいくつか見られて良かった。
— ひとみ (@HMIshikari5425) 2014, 4月 11
あと、アンチ村岡花子な人たちが盛んに喧伝し、自分としても扱いが気がかりな結婚の時のゴタゴタをどう扱うかという問題で、キリスト教的倫理観を抜きにするのはかなり危険だと思う。彼女らが世俗的な倫理の桎梏を超える担保は、「神への懺悔と赦し」より他になかったと思われるからだ。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 11
花子の扱いがこの調子では、柳原白蓮登場まで盛り上がるポイントはないかもな。あとは兄妹の進路がどれだけ「近代社会のリアル」に迫れるか。。。
— ryo (@issengorin) 2014, 4月 12
ドラマを通じて正しいキリスト教の思想が伝わるといいとかいやドラマなんだから布教する必要はないとかは関係なく、この場合キリスト教の基本的な精神ぐらいは視聴者と共有できるようにしておかないとダメではないだろうか。でないと、安定していない基礎の上に家を建てるようなことになるよ。
— ひとみ (@HMIshikari5425) 2014, 4月 12
お猫様「私のせいでダメになったとは片腹痛い。人間よ、お前は元々ダメだったのだ。私はお前に本当のお前というものを教えてやったに過ぎぬ。」
— ちらいむ (@chilime) 2014, 4月 12
前はブログのURLが日付形式なのあんまり好きじゃなかったんだけど、ソーシャル時代になってみるといつの記事なのか判断するために重要なものだと痛感するようになった。
— まあしぃ (@mercysluck) 2014, 4月 12
王様のブランチで櫻井翔がおすすめ本に、辺見庸の「もの食う人びと」を紹介していて好感度が超スピードでマックスになった
— 星井七億 (@nanaoku_h) 2014, 4月 12
好きなマンガにサンクチュアリを挙げた櫻井さんが好感度上がってる!わたしマンガ知らないけど!!!
— えつだむ (@kwaicoetsuco) 2014, 4月 12
認知の歪み自体は人間なら誰でも程度の差こそあれ起こるわけだから、嘘だと自覚しつつ巧妙に演技するよりも、本当だと思い込んだほうが楽に嘘が吐けるし自責の念も感じない。要はそれが一番合理的だからそうするんだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 12
まあキリスト教徒が、親である主の真似をしようとするのは、子どもとしてそんんなにびっくりすることではないですよ。調子に乗って親と同であるかのように振る舞ってガツンとやられるのも話としてはわかる。RT:@leftlateral 私がどうクリエイトしようとしても全てパクリですわ。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 12
「死にたいんじゃなくて、生きたくない人」のほうが多いんじゃないか
— 星井七億 (@nanaoku_h) 2014, 4月 12
— 在華坊 (@zaikabou) 2014, 4月 12
前にも言ったけど、あの人って困った時に力を持っている誰かに頼ると謂うのが習い性になっているみたいだから、今回も弁護士先生に依存しているんだろうねぇ。そりゃまあ、法律家に相談したら職場の不当な扱いに抗議して法廷闘争に持ち込むべきだとか、メディアで反論すべきだって話にはなりますよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2014, 4月 12
「あさパラ!」という関西情報番組を見て感動した。小保方さんのファッション化粧分析、不適切な関係疑惑→笑いへ。一応ゲストが真面目なコメント「結局問題は証拠があるかないかでしょう」司会のリンゴ「問題は肌の綺麗さや!毛穴ひとつあらへんがな!」ドッカーン。盛り上がって終了。ゲスくて最高。
— 金子平民 (@heimin) 2014, 4月 12
東京でテレビを見ている時の「真面目な顔して全員ゲスのくせに」みたいな嘘くささが全然なく、堂々とゲスを引き受けてハイヒールリンゴ姉さんがゲス界に土足で切り込んでいく。やっぱ関西は違うよなあ…。本気で感動してしまった。同時に自分がいかに関西外の感覚に慣らされてしまっているかも知った。
— 金子平民 (@heimin) 2014, 4月 12
それでは仕事に行ってきます。敢えて書きますが、今日も私は患者さんたちに薬を出しますよ。そして患者さんたちは、その薬を飲む。彼らに何かあればその責任は私にある。常にそう自覚して処方します。そして、仕事の後は、患者さんのことはすべて忘れて家族で楽しく過ごします。
— いちは (@Willway_ER) 2014, 4月 12
「キリスト教枠の科学観」はデファクト・スタンダードですが、他の宗教の場合はトンデモとの境界線の引き方が不透明で、「オウム事件」を経験した国の人間としてはトラウマですね。しかしイスラム諸国はそれをしているので、必要かもしれません。RT:@wagonthe3rd 禅や仏教に基づく、真
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 12
自分がいくらゲスごっこみたいな感じで小保方さんについて書いてみても、それはしょせん東京在住者の行儀の良い…西向きの背伸びでしかないのだと反省した。何かこう…笑う感覚、笑って突き抜ける感じが関西は全然違うんだよな…。あさパラ!の「ナニワのおばチャン」空気にショックを受けました。
— 金子平民 (@heimin) 2014, 4月 12
とりあえず修和の先生は花子に「英文読んでて分からない単語があったら印だけ付けといて、とにかく最後まで読め」と教えてあげてほしい。
— Natsu (@Heike_gatari) 2014, 4月 12
フェイスブックの PEOPLE YOU MAY KNOW に出てきたアイコンを観ながら、「ああ、俺誇れるもんが自分が持ってる車しかないような、そういう人生でも良かったかなあ」とか思ったけどいけね、あと一時間後には研究の打ち合わせなんだ。と思って我に返るなど。
— HARA YASUSHI (@harayasushi) 2014, 4月 12
「科学を信じる」って自己矛盾なのでは?
— ぜっきー(神) (@zekitter) 2014, 4月 12
今更『カーネーション』でよいなあと思う点。主人公の糸子が男勝りで気が強いのに、女性的とされる裁縫が好きというところ。気の強い、男勝り=源氏物語読まないだの、長刀振り回すだの、そういうテンプレには結構うんざりなので。
— きつり (@kizury) 2014, 4月 12
男勝りな大名の姫君が「私は源氏なぞ読みません!」というのはアウトで、というのも昔は男女問わず教養の一環として源氏くらい読めて当然だったからなんだけど。こういう「女性的なものを否定」することで男らしい強気な女性を表現するのって、リアリティないんだよねえ
— きつり (@kizury) 2014, 4月 12
昨年の八重は鉄砲大好きだけど裁縫や料理が一通りできるという史実をなぞっていたし、糸子はむしろうっぷんを布と糸にぶつけているから、そういう点ではよいと思う。
— きつり (@kizury) 2014, 4月 12
『花子とアン』の脚本への危惧はテクニックというかアンネタを入れ込むのに力を入れすぎて、整合性がおかしくならないかということ。二週目でちらほらその兆しが見えているのはちょっと不安。
— きつり (@kizury) 2014, 4月 12
@wagonthe3rd 「キリスト教枠の科学観」がキリスト教の信仰とは違いがあるように、仏教的な科学観も、おそらく仏教のスタンスと差があると思います。専門家の僧が違うものと同じものをごちゃ混ぜにするよりは、在家の人が、ある程度それをメタ的に認知した上で接するのはいいと思います。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2014, 4月 12
墓石下部には新約ヨハネ5:25から「死にし人、神の子の聲をきく時きたらん」と刻まれているので、何やら復活を確信した信心深い人間だったように受け取れる。だがそんな事実はない。碑文は母親と兄(CMS宣教医)の趣味で、葬られた本人とは無関係。 #LaofA
— やぎたに (@yagitani_ryoko) 2014, 4月 12
この墓石は皮肉に言うなら、人間は自分の死後のことに関与できないことの実例。 でも、結局ロレンスの母親も兄もどこに葬られたか定かでない(墓石もないと思われ)ので、ふたりの信仰の記念碑として考えれば、意味がある。そう思うようになった。外野の勝手な感想ですけど #LaofA
— やぎたに (@yagitani_ryoko) 2014, 4月 12
滑空中のスズメのカッコよさは異常。 pic.twitter.com/Q0A73Decsm
— ナマズん♥JC2 (@NAMAZUr) 2014, 4月 12
ブクマニュースに影響されてやって来た http://t.co/S5VFNMY3ZW (@ ヤオイソ 烏丸店) http://t.co/GGiz3uOeHg
— Tt (@byorori) 2014, 4月 12
「趣味は上達すると面白い」は正解だと思うんだけど、割と多数の日本人は「趣味は上達しないといけない」「上達しないなら、最初からやらないほうがマシ。時間と金と体力のムダ」みたいな思考があると聞いた。一方外国では「ボクは○○が趣味なんだ!スコアは万年初心者だけどね!」なんかも多いそうな
— 【公式】ゆるゆるNEWS (@Yuruyuru_news) 2014, 4月 12
爪と嘴のメンテに行ってきた。久しぶりに連れ出したら疲れたようで、扉開けても引きこもってる。 pic.twitter.com/cDHen5jKBp
— nambon (@nambon) 2014, 4月 12
「担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意」 http://t.co/wcwPyuMzwTこれ、入学式に保護者同伴が義務づけられてるんでしょ、多分。うちの息子の高校もそうだったし。この教師の場合、夫が行けなきゃ自分が行くしかないよね。自分の学校が休めるなら。
— 須賀原洋行地酒日記クッキングダンナ発売中 (@tebasakitoriri) 2014, 4月 12
チームにおけるリーダーという役割はトップじゃなくてフロントなんだよなー。上じゃなくて前。
— ビッグスモケ (@smokeymonkey) 2014, 4月 12
和装、着物の柄の花と帯の柄の花の季節を揃えないといけないとかがめっちゃ難しい
描かれてる花の名前すらわからない
— ゆりりー (@yulily100) 2014, 4月 12
nobuokaさん、プレゼンの途中で変なアニメの絵を見せてくれるのとジーンズの股間破れてる以外はいい人だと思う
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2014, 4月 12
可能な方はぜひ聖枝祭・受難週・復活大祭に御参祷下さい。共に祈りましょう。また、諸事情により参祷できない方も、どのような祈りが大聖堂で行われ何が記憶されているかを、離れた場所においても想い起して下さい。
— クリメントКлимент北原Σίμων (@kliment_klimis) 2014, 4月 12
息子がいる人と娘がいる人が結婚した場合、それらの子同士は義理ではない兄妹姉妹の関係になるので、その条件下では 「お姉ちゃんと弟は結婚できる」 という認識だけど、それであってる??
— nobuoka (@nobuoka) 2014, 4月 12
ひとでさんのプレゼンテーションに関する話、いいこと書いてあるけれど「めちゃくちゃおもしろい話をする」というのは確かにそうだけれどそれがむずかしいんだよ、という話でもある
— ♨️ (@aereal) 2014, 4月 12
いま持ってる新約聖書は文春新書で、この帯のキャッチコピーのあまりのどうでも良さに衝動買いしたものである。字が大きくて読みやすいのが良い。 pic.twitter.com/A1kQZAp1pG
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) 2014, 4月 12
ざっと検索してみたけど、県立高校の入学式はだいたいどこの県も保護者同伴を義務づけている。だとすれば、高校生の親が県立高校の教師の場合、教育長は事情をよくわかっているはず。県立高校の事情で休まねばならない教師をなぜ県の教育長が責めるんだ?教師は権利としての有給を使っただけなんだし。
— 須賀原洋行地酒日記クッキングダンナ発売中 (@tebasakitoriri) 2014, 4月 12
WWDCのチケット買うの、のんびりしてるとアメリカから電話来るから気を付けて!(すみません購入しました……)
— Hiroki Kato (@cockscomb) 2014, 4月 12