艦これアニメ、TLから流れ漏れる噂から察するに「オタクってカワイイ美少女がキャッキャウフフしたり酷い目に遭ったり死んだりする話が好きなんでしょ?ほら、これでも見て萌えなよwww」という、一番やっちゃいけない事をやってしまった作品のようにも聞こえる…。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2015, 1月 28
オタクは乗せられやすくチョロいように見えて、舐められることには敏感なのだ。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2015, 1月 28
大抵のオタクは物心付いたときから舐められ続けているので、慣れてもいる。服装センスが絶望的だとか部屋が魔窟だとか彼女がイナイとかいい歳してアニメに夢中になってキモイとか、「お前ら理解できない」という攻撃に対しては「ボクらそういう人種ですから(´・ω・`)」と対応できる。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2015, 1月 28
だが、自分の趣味に土足で踏み込んで判ったような顔をされる舐められ方については過敏に反応する。艦これアニメはその逆鱗をモロに逆撫でしちゃったんじゃないかなぁ…。
— ウチューじん・ささき (@uchujin17) 2015, 1月 28
安田講堂占拠事件で「ねえ鉄球ぶつけましょうよ」って提案した人が「あの建物大事だからなあ」みたいな理由で却下されて、後に浅間山荘で「ここならオッケーですよね」って念願の鉄球持ちだした話、連合赤軍が鉄球趣味の餌食にされた感あってすごい好き。
— 肛門亭そよ風 (@TanTaiP) 2015, 1月 28
1.29 thu ベッドメイキング失敗 #ビスコ pic.twitter.com/S0rPDeZXkB
— 田中達也 (@tanaka_tatsuya) 2015, 1月 28
宣伝と営業はマッサンがやってるの? それは…………それは………… #マッサン
— 蓮花茶@実況中 (@lotusteajikkyou) 2015, 1月 28
マッサンひとりで宣伝と経理は不安だのう。#マッサン
— tashiyoma (@tashiyoma) 2015, 1月 28
עברית [ツイートの各行を] עברית
עברית [ヘブライ語で挟むと] עברית
עברית [右寄りになります] עברית
עברית [保守的な意見を言う] עברית
עברית [際にご利用ください] עברית
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) 2015, 1月 28
胸を張ってまー担を公言できる世界…
— ぷりっつ (@p_jvk) 2015, 1月 29
どうしよう、今のにしじまくんポジにまーくんさんがおさまったら…(それはない)
— ぷりっつ (@p_jvk) 2015, 1月 29
ブイクラスタの中で「まーくんさん」という呼び名がわりと定着している様子なので、コンサートや舞台のカテコなどで次に呼びかける機会があればみんなで使いましょう。せーの、まーくんさーん!
— ぷりっつ (@p_jvk) 2015, 1月 29
(>_<).。o○“ISIL”(アイシル)といえば、れはっちには「図書館及び関連組織のための国際標準識別子」ですが、一般的には「イスラム国」になってしまうのかな・・・ http://t.co/vJiQk6GElr
— 国立国会図書館関西館図書館協力課 (@crd_tweet) 2015, 1月 29
坂本くんがなに漁を始めたんです?
— ゆづ (@solairoha) 2015, 1月 29
中居さんが坂本さん長野さんからのお年玉の話をTVでしてくださるのを見て、派閥を壊そうとしてくださってるわぁと勝手に感謝してたのだけど、引き金はジュンピーの無邪気なおねだりだったと知って、誰にどう感謝したらいいかわからない。アイドルありがとう。
— ぷりっつ (@p_jvk) 2015, 1月 29
ちょっと宗教に夢を見過ぎなのではないか。
— ニー仏 (@neetbuddhist) 2015, 1月 29
多くの一般信徒にとって、宗教なんて単なる生活上のコードの一つに過ぎないからなあ。中には「狂」と呼べるレベルまで突き詰める人もいるけど、それは宗教に限らず他のイデオロギーでも起こり得ることだ。
— ニー仏 (@neetbuddhist) 2015, 1月 29
「わかった」と言ったエマが、一晩しか経ってない今どんなわかり方をしてるのか「おはようございます」の一言で見せるのが凄い。Good morningの国の血を引いてない、母の実の娘じゃない、とわかったと。もう少し時間が経っていろいろ考えたら、きっともっと深くわかるよね… #マッサン
— たまごころころ (@eggcorocoro) 2015, 1月 29
「プロたるものうんぬん」って話を長々された時のワイ pic.twitter.com/0L6cTvPPA1
— Enbos@2日目サ40ab (@Enbos) 2015, 1月 29
「RT 鍵」は「電車で隣の席でマクドナルド食べてる女子高生のおじいさんが言っててワロタって言ってた」の意ですからね。
— R-Gray (@pso2_r) 2015, 1月 29
いいかい学生さん、業務中に「おっぱい」とツイート出来る職場に就職しなよ。それが人間、激務過ぎもしない薄給過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。
— izm (@izm) 2015, 1月 29
昨日は南直哉氏の勉強会「仏教・私流PartⅢ 第30回 道元~無常の形而「外」学 その1」を聞いてきた。過去にも一度、親鸞の話を聞いたことがあるのだが、この人の仏教話はとにかく面白い。彼の面白さは親鸞や道元といった各宗派の開祖の「狙い・目的」を彼なりの推測で語るところにある。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
南氏は曹洞宗永平寺でずっと修行していて、今は恐山の住職をやっている。永平寺と恐山を往復しつつ、こうやって東京とか日本各地で講話をしている。口調は落語家っぽい感じ。肝心の宗教話に入る前、落語の枕のように世間話を30分ほどして、そこから本題へとつなげていく。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
「写真撮りたいが広角レンズ持ってきてないなぁ」「今から買いに行く」
— Yusuke MURAMATSU (@muranet) 2015, 1月 29
東京五輪の開会式でLTしたい
— だいくしー (@daiksy) 2015, 1月 29
あぶく銭つかみてえ
— zekitter (@zekitter) 2015, 1月 29
ライト級LT日本代表
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2015, 1月 29
HONDA VTR
長年熟成されたVT系エンジンを搭載し、ツーリングから街乗り、はてはジムカーナもこなす高い汎用性を持つ傑作。ガンダムで例えるならジェガン。キャブ車とFI車がある。写真はFI。 pic.twitter.com/mpIh2dPw0p
— バイク関連紹介bot (@bike_syokai) 2015, 1月 29
コピックをムラなく塗るためには、ペン先を紙から離さず、くるくると小さな円を描くように塗っていくのがおすすめです。急がず…でもインクが乾く前に…くるくると広げていきます。 pic.twitter.com/GLYrOXIG4L
— COPIC_Official (@COPIC_Official) 2015, 1月 29
自暴自棄に生きようかなって思った次の瞬間、あ、コンロを掃除したい、とかおもうから自暴自棄になれない
— 週末アイドルあすな (@asnatch) 2015, 1月 29
悪魔「会社なんてサボっちまえよ…どうせお前一人居なくなったって誰も困らねえって…残業代も出ないんだろ…しばらく休んじまえって!」
天使「これ以上働いたら体を壊してしまうわ!もう20連勤じゃない!すぐに休まないとダメよ!」
社畜「会社いくか…」
なぜなのか
— かずー (@kazoo04) 2015, 1月 29
オイルパスタって聞くとおしゃれな感じするけど、油そばって聞くと背徳的な感じする(どっちもおいしそう)
— ぱれあな (@pollyanna_y) 2015, 1月 29
はてなブログ様
V6ヲタがはてなブログで続々とブログを開設しているのは急にファンが増えたわけではなく、新規のV6ヲタがたまたまはてなブログに記事を投稿した文才のあるV6ヲタを見て真似したくなっただけだと思いますのでよろしくお願い致します。
— イチ (@Vcatseye6) 2015, 1月 29
トイレ行きたかったんだった(まだ行ってない)
— minekouki (@minesweeper96) 2015, 1月 29
【定期】ポーランド、分割
— なんJ世界史部 (@NanJ_Sekaishi) 2015, 1月 29
トイレ行きました
— minekouki (@minesweeper96) 2015, 1月 29
35歳無職という肩書きの人がキャリアについて語るの、外から見てたらブラックジョークにしか思えないなww
— やわなメンタルのjoker (@joker1007) 2015, 1月 29
「エンジニアです。35歳で無職になりました」
— songmu (@songmu) 2015, 1月 29
ぼく、36歳で一瞬だけ無職になった。
— だいくしー (@daiksy) 2015, 1月 29
僕もエンジニアですが去年34歳で無職になったしなー
— songmu (@songmu) 2015, 1月 29
めっちゃ面白そうなアンカンファレンス #cross2015 pic.twitter.com/7Jczb0My5s
— jigyakkuma (@jigyakkuma_) 2015, 1月 29
海鮮丼うまい pic.twitter.com/0c7IOwtqsm
— tatsuru (@tatsuru) 2015, 1月 29
ビールの写真が見えた
— minekouki (@minesweeper96) 2015, 1月 29
本日有給をとって明日の納会に備えています
— tatsuru (@tatsuru) 2015, 1月 29
備えよう
— minekouki (@minesweeper96) 2015, 1月 29
蓋をあけると私は結局、自家中毒な若者以上には成長できていないようだ。その先は真っ白になってなにも思いつかないんだ。そこが能力の限界かもしれん。
— ぱせよ (@_paseyo) 2015, 1月 29
SNSのプロフィール欄に「これまで取材した件数1700件」「10年間で600人をマスコミ界隈に送り出す」「年間講演回数80回」とかやたらと数字を並べるヤツは大したことないヤツ。まともなヤツはそんな回数だの人数だのはいちいち数えないし、数字の多さが発注主に刺さらないことは分かってる
— 中川淳一郎 (@unkotaberuno) 2015, 1月 29
色って大事だな これ郵便局のティッシュ どうみても夜用にしか見えない pic.twitter.com/xSdQ0EqoCD
— アニマ・ムンディ (@animamundi_) 2015, 1月 29
@Vcatseye6 わざわざありがとうございます。勉強になります。
— はてなブログ (@hatenablog) 2015, 1月 29
まずターボ四駆を買います
— Yusuke MURAMATSU (@muranet) 2015, 1月 29
まず免許では…
— 倫理的に妥当な箱 (@cho45) 2015, 1月 29
アレクサンドル・シュメーマン『世のいのちのために 正教会のサクラメントと信仰』や、トマス・ホプコ『正教要理』も、とてもよい学びになった。自分が絶対だと思っている原罪理解や贖罪理解が、必ずしもキリスト教の世界でどこでも通じるわけではないということを学ばせてくれる。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) 2015, 1月 29
免許必要だった...
— Yusuke MURAMATSU (@muranet) 2015, 1月 29
2ch バイク板では免許取得前に IYH する例が散見されるので、先に買うのがいいんじゃないでしょうか。(ブーメラン直撃)
— Yusuke MURAMATSU (@muranet) 2015, 1月 29
おもにアウグスティヌスにおいて、そのペラギウスらとの論争のなかで、西方カトリック世界における原罪の教理が固まっていったこと。だから、正教会においては西方的な意味での原罪の教理はなかったはずだ。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) 2015, 1月 29
それと聖霊の理解。ヨゼフ・ラツィンガー『イエス・キリストの神 三位一体の神についての省察』のなかで、とくに翻訳者里野泰昭が詳しく書いてくれているが、西方においては聖霊が父なる神からのみでなく、子なるイエス・キリストからも発出する。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) 2015, 1月 29
それはアウグスティヌスが『三位一体論』のなかで父と子との互いの愛の関係、その愛が聖霊にあたるという譬えでもって説明していることである。しかし正教会では、聖霊は父なる神から発するのであって、子なるキリストからではない。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) 2015, 1月 29
キリスト教徒でない人からすればどうでもよいささいなことかもしれない。でも、こういう「ささいなこと」に、信仰の全生涯をかけて論争した人々がいて、そのおかげで、制度としての、かたちとしての教会が現存しているのだ、ということもまた事実である。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) 2015, 1月 29
まだ結婚して一年も経たない25歳の女性から旦那からお前みたいなブスは他に居ないだのお前の為に千葉に引っ越してきただの二世帯賛成したのはお前だのそういった話を聞いていた。彼女は話しているうちに夜中泣き通しで腫れた目に涙を貯めてこうやって思い出して話してると悔しくてまた泣けてくると
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
実際彼女はかなり可愛い顔面偏差値で言えばハイクラスでスタイルモデル並の細い華奢な身体をしていて話し方も声も穏やかなのになんでその夫はこんなにも暴言吐くのだろうか。去年は暴力振るわれて綺麗な顔が殴られて青たん作って働きに来ていたしかも周りに悟られないようにマスクして。
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
近所に誰か頼れる人は居ないのか聞いたところ実家は都内近郊だが電車で数時間掛かるしすぐ助けを呼べる状態でもなく夫側の両親は息子可愛さでどうか別れないで我慢してやってくれと酒呑んで訳わかんなくなってる息子を庇うので仕方なく彼女は我慢している状態。
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
暴力行為を聞いた時点でまだ若いんだし貴方がそれで良いなら私が口を挟むのはおかしいかもしれないけれどどう考えても間違っていると思うのだがと話したが十以上も年嵩の男性なのだが「子供なんです。夜中に警察来たこともあって」となにやら彼女の判断も狂っているのではないのだろうかと思うところも
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
しかし先日彼女の口から「もう次は・・・これで最後にします。別れます。」とポツリと言った。うんそうだね。としか返せなかった。あまりにも我慢強く他人に優しく自分に厳しい人は誰の助言も聞けず、というか相談や愚痴なども言えず自らの状況を追い込んでそれが当たり前、しょうがない、私も悪いと
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
思い込んでしまうのではないだろうか
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
神奈川県内で大雪警報が出たとのこと、新巻鮭に教えたら「おれは…おれは、いますぐ かながわに いかなければ ならない…なぜならおれは かながわうまれの かながわ そだち…」って言うと思うからです あと新巻鮭は雪のことがすごく好きだから
— 進藤奈々 (@kiris_) 2015, 1月 29
夫にサウンドバックにされている人は優しすぎるしダメを助長させるんだよそれって言われそうだが違うんだよ夫にそういう扱いされてどんな気持ちで一緒に生きて行けるかそういうの少しでも汲み取れないとダメなんだよ
— のぞみ (@maasaakoo) 2015, 1月 29
inoreaderちゃんお願いがんばって pic.twitter.com/hmoAJb3KZY
— あまりあ (@amariya) 2015, 1月 29
法隆寺の拝観料、だいぶ高く感じたなあ。3箇所分のチケットなので、まぁそんなものではあるかという感じだけど、百済観音だけの目的にいくと厳しい
— 倫理的に妥当な箱 (@cho45) 2015, 1月 29
パクられた上にdisられるってわたし一体前世でどんな悪行を積んだというの
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2015, 1月 29
ハレンチとかいわれのない謗りを受けて植村直己さんも気の毒である(しかし笑った) RT @murakamisanno: 幸せな勘違い http://t.co/4RrE7Ji9wh #村上さんのところ
— 佐藤りえ (@sato_rie) 2015, 1月 29
こちらのアカウント、私のパクりbotなのでよろしければスパブロご協力頂けると助かります。あとパクられて客観的に見ると自分のツイートひたすら恥ずかしい。→“@kyvyfivuredy: 足の裏から首まで舐め回す、それはもう愛がなきゃできないレベル”
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2015, 1月 29
家に帰ったら犬がキャベツの玉をもりもり齧ってて、電気付けた瞬間「うそ…だろ…」みたいな顔をして口からキャベツをぽろぽろ落としながら後ずさりしてそのまま尻からコタツの中に入っていった その後何もなかった顔をして「やあ!おかえり!」みたいなノリでコタツから出てきた
— げっ歯類.jp (@toji2) 2015, 1月 29
南師の基本思想は「実在」をどう定義づけるか? そこにあると思う。実在とは我々の存在だ。実際に生きている身体、今、ここに私がいると感じる自意識。これは本当にあるのか?このあり方で正しいのか?私が今、生きていると感じるのは単なる夢ではないとなぜ言えるのか?こんな風に問いたくなる。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
私が紛れもなく私である、という感覚や、私は今の有り様でいいのか?ということに不安を抱えた人はカウンセリングを受けに来る。ぼくは「『自分ストーリー』が不安定になっている人」と呼んでいる。おそらく南師の言う「実在の不安」とはこれを指すのだと思う。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
うちの新卒組、社歴10年くらいの経験積んでないか・・・
— 桝原翔市 (@shoichimasuhara) 2015, 1月 29
社歴1年未満
— チキンとタイカレー (@yashigani) 2015, 1月 29
ところでいっておくけど、“婚姻”ってのはキリスト教、たとえばカトリックにおいてはカテキズムに記されたまさに“教義”のひとつなんですよ。で、それを認めろっていうのはさすがに通らない。ゾロアスター教に「親族じゃなきゃ教徒と認めないのは差別的だ」っていう話にはならんでしょ。
— 11uk3w (@11uk3w) 2015, 1月 29
じっさい、カトリックはいまでも離婚を“教義としては”認めていません。しかし大カトリック国であるイタリアやポーランドで離婚するひとが著しく少ない、ということはない。なぜか、といえば世俗の法律と教会が定める戒律が一致するとは限らないからです。
— 11uk3w (@11uk3w) 2015, 1月 29
まあ世俗と教会が違うなら仕方ないよね。ギャップがあったとしてもそもそも聖典たる聖書のなかでイエスは自身が批判したファリサイ派にも従うべきだとしているし、パウロも“上に立つ権利には従うべきです”といっているのです。まあ信徒の離婚ならわりと面倒な手続きを求めたりはするけれど。
— 11uk3w (@11uk3w) 2015, 1月 29
ところで、過去 1000 年以上にわたって“聖俗の一致”を求めるイスラムにおいてそれは簡単ではない。トルコのような例もありますが、イスラム圏においてイスラム法と世俗法は一致していけなければなりません。サウジアラビアにおいてはクルアーンやスンナが憲法として定められている。
— 11uk3w (@11uk3w) 2015, 1月 29
そんなムスリムやイスラム学者に「同性婚を認めろ」「死刑を廃止しろ」といってそれを通用させるのはかんたんなことではないでしょう。そしてイスラム教徒は今後確実に増えていく、 2050 年には世界の四分の一と謡われている。このギャップをどうするのかが 21 世紀の課題のひとつです。
— 11uk3w (@11uk3w) 2015, 1月 29
なに、この素晴らしいアカウント… @imgnbkpro
— 在華坊 (@zaikabou) 2015, 1月 29
スーパーカブでも林道行けなくはないけど、沼にはまって抜け出せなくなったりする。前やった時はカブが沼に沈んで10分ぐらい格闘してた
— ペロペロ (@experopero) 2015, 1月 29
南師曰く、仏教も仏教以外の宗教もたいてい実在を否定する。あなたがただそこにいるということをそれだけで無条件に認めて肯定したりしない。そして、実在が否定された後、どうするのかについて宗教は語る。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
仏教以外の宗教、特に一神教的な宗教(キリスト教、イスラム教など)は「実存」の対極に天高く「超越」を設定する。例えばキリスト教ならば、それはGOD、神である。そして、超越、つまり、神と関わる限りにおいて、実存は肯定される、とする。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
あ、ここまでのツイート「実存」を「実在」って書いてた。全て「実存」に訂正。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
そこで仏教はこう考える。「でもどうしてそれが真の『超越』だとわかるのか?人間なんて不完全なもの(実存)が『これは超越だ!神だ!』と言ったところで、それが本当に超越だと確信することにはならないだろう。だって、その気づき自体が実存から発したものなのだから」
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
生まれて初めてねいるあーととやらをやったんだけど、自分の体の一部が可愛く整えられてる(しかもめっちゃ目につく)のがすっごくうれしい http://t.co/aNZ79OyrOc
— ゆりりー (@yulily100) 2015, 1月 29
書類の整理をしていたら、カナダのワーホリ時代にコピーした日本の古典を見つけた。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
讃岐典侍日記は、
The Emperor Horikawa Diary
と、訳されていた。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
梁塵秘抄は、
Songs to make the dast dance 。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
建礼門院右京大夫日記は、
The poetic memoir of Lady Daibu
と訳されていた。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
大鏡は、
The Great Mirror
そのまんまだ…。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
枕草子が英訳題名『the Pillowbook』なの、ただの直訳なのに何となくエロ感ある。<RTs
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
英語版Wikipediaの『diary』の項目で『日記の歴史』として『東洋には古代から日記の伝統があり~日本では「枕草子」が~』などと言われており、アイエエエ!? 枕草子!? 枕草子が日記扱いナンデ!? http://t.co/9MuouwDAwI
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
日本人の感覚だと(たとえ架空でも)『日付』『時系列』と結びついてないものを『日記』と呼ぶのは凄く違和感があるのだが、英語圏の『diary』は違うんですかね?<枕草子はdiaryか
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
堤中納言物語もあった。
Riverside Councellor's stories
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
アニメを見るときは気分を明るくして現実から離れてみてね
— ひ( ˘ω˘ )ろ@喘息でダウン中 (@hiro_5kou) 2015, 1月 29
太平記は、そのまんまThe Taiheiki。
ではつまらないので、大塔宮の英訳を書いときます。
The Prince of the Great Pagoda でした。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
この訳が英語圏で一般的かはわからないのですが、一応バンクーバー中央図書館に陳列されて普通に読まれていた本なので、英語圏の人に意味は通じるとは思います。
— 葉つき みかん (@hmikann) 2015, 1月 29
夜間大学の図書室にあった英訳本は「百代の過客」の英訳が「eternal foreigner」だったのが好きなんだけどあれ誰の訳だったんだろう。未だに見つからない【読んでる】英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客:英語の海を泳ぐ http://t.co/Bj3HR96EBY
— あきのな (@akinona) 2015, 1月 29
ニンジャスレイヤーで『古事記に~と書いてある』(※そんな古事記はない)というパターンがあるけど、中世日本の書き物では実際『日本書紀に~と書いてある』(※そんな日本書紀はない)というパターン(専門用語で「中世日本紀」という)がよくあったので困る
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
なお古事記に仮託されないのは中世では古事記の来歴が胡散臭く(もっと言えば偽書扱い)思われていたための模様
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
勿論『天照大神が魔王に「私はこの国に仏教を入れさせません」と誓約した』(という「中世日本紀」がある)なんて文章は実際の『日本書紀』にはないわけだが、それはそれとして「なんで中世人はそんなのが『日本書紀に書いてある』と書いたのか」というのは、神道史や文学史的には意味のあることなのだ
— 歩弥丸(ふみまる) (@hmmr03) 2015, 1月 29
首都高絶対バイクでいきたくない。本当に500馬力クラスのスポーツカーとスーパーカーが殺し合ってる
— ぬこたそ (@china_noodle) 2015, 1月 29
僕の尊敬する研究者とかエンジニアとかクリエイターとかが艦これに時間を食われまくって自覚症状出るくらい本業に差し障り出てる姿見て悲しんでたけど、そろそろそのブームも落ち着こうかなってところで全てを降り出しどころかさらに状況悪化させやがった刀剣乱舞ぜってぇ許さないでやんす!!
— (あんちべ! 俺がS式だ) (@AntiBayesian) 2015, 1月 29
同じ道元が他の宗教家を散々disっているように、仏教でも他の宗派ではわりとお気楽に超越的なものを持ち出してくる。確かに超越的なモノが存在していて、それに従いさえすれば、すべては大正解、うまくいく、という話は「実存」にたいして安定的な「私ストーリー」を与えてくれる。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
ぼくは宗教の効用というのは、実存の不安を抱える一般大衆に対して、(嘘でもいいから)安定した「私ストーリー」の供給して安定させてやることにあると思っている。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
「バールのようなもの」は「バール」ではない。
— カラス船長(裏雑音 (@uranoise) 2015, 1月 29
バールは、バールなのだから。
— カラス船長(裏雑音 (@uranoise) 2015, 1月 29
やっぱ。「大きな釘抜きのようなモノでコジ開けられ…。」ぢゃ、ピンとこないもんね。
— カラス船長(裏雑音 (@uranoise) 2015, 1月 29
そういう意味では「バールのようなモノ」という表現は、NHK以外では適切なワケなんだとは思う。(わかったから
— カラス船長(裏雑音 (@uranoise) 2015, 1月 29
今回の話はだいたいこんなところか。そういえば南師が言っていたことで面白い話題があった。今度キリスト教の神父と対談する話があるらしいのだが、そこで彼は「あなたと神との関係を言葉で説明することは、宗教者として必要な条件ですか?」と聞いてみたい、と言う。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
無根拠にポンっと神という超越的な存在を仮定するキリスト教徒に対して、この質問をするというのは大変に意地が悪いw そして、確かにどう答えるのか、聞いてみたくもある。ある種の人たちはこういう振る舞いを「露悪的で大人げない」と言うのだと思う。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
「あなたと神とはどのような関係にありますか?」「どうしてそうなのだと言えますか?」と直接聞くのはあまりにもヘビーだし、「神との関係というものは言葉で語りつくせるようなものではありません」と超越の無根拠性を言葉にしないことで回避する返答も想像がつく。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
そこで「あなたと神との関係を言葉で説明することは、宗教者として必要な条件ですか?」とすこし間接的に一枚はさんで問うところが渋くていい感じだ。攻撃的にはとらえられないだろうが、結構困るんじゃないだろうか。その後、南師から報告があるのを楽しみに待ちたいと思う。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
ちらっとかじってみただけの感想だが、一部の仏教というのは宗教と言うよりも認識論っぽい。原始仏教とか禅宗とかは基本的に全知全能の神様が出てこない。無明(わからない)ということに大変にこだわる。お釈迦様も基本的にわからないことは「わからない」と言うか、何も言わないかどっちかだ。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
まちがって出勤ボタン押しました
— tsukasa tanemura (@tkstnmr) 2015, 1月 29
あともう一点、南師の話で面白かったことを思い出した。「真理」というものは権力になる。一方に真理を知っているものがいて、もう一方に真理を知らないものがいれば、自動的に知っている側に権力が生まれる、という話。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
何が悟りなのか?悟りの条件とでもいうものを知っている人間がいたとしたら、その人は権力を持つ。だから、「俺は真理を知ってるよ」と人は言いたくなる。そうやって、他者から欲望される存在になることに執着している人はその時点で悟りとは遠い。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
自分で悟った気がするからこれは悟りですというのは、あまりにも無根拠だ。その認定は外から与えられる。でも、外から認定を与えようにもお釈迦様は悟りとはなにかについて何も言ってない。だから、だれも悟りとは何かについて知らない。いずれにせよ、真理の認定というのはシステムなのだ。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
その点、カトリックは偉い。「奇跡認定委員会」ってものまであるんだから。誰かが勝手に「奇跡が起きました!」と言ってもそれは「奇跡」じゃない。ヴァチカンからやってきた認定委員会が「よし、これは奇跡!」って言って初めて奇跡になる。完全にシステムなんだ。その辺、よくできてる。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
以上。この辺の話を聞いていると、そもそも南師はなぜ宗教家になったのだろうかという気すらするが、それでも「自分は何のために生きるのか?」をずーっと考えずにはいられない人間だったから、結局、いろんな宗教をさまよいつつ、禅宗にちょうど居場所があったということだろう。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
どうしても「自分は何のために生きるのか?」ということをまじめに考えられない(考える必要性を感じない)ぼくには、この辺の感覚はよくわからない。でも、そこに悩みを持って相談に来る人は多いんだよな。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
あとこれ97年ごろからのネット状況まとめてくださってておもしろかった…ミーハー俱楽部はきいたことあったようなないような… /ジャニヲタブログ文化におけるTwitterの影響について http://t.co/1zWS4tBxJk
— ささ (@sasagim) 2015, 1月 29
昔の個人サイトまだネット上にあるし、もうホームページビルダーの使い方も忘れたから何もできない。ライブレポ書いたり小説書いたりしてた。エンピツ日記が更新サボってるうちに消えたのは地味に痛かった。テレホタイムにチャットとかメッセやったりしてたな。ただ、どれもジャニーズじゃない…>RT
— 藍田英里 (@eri_aida) 2015, 1月 29
@gomacocochan @osugi_akira わからないなら「わからない」というか黙っておく、というのは原始仏教でお釈迦様がやってることでもありますし。わかってないことをわかったように語ってはいけない、というのが今回の道元『正法眼蔵随聞記』に対する南師の解釈でした。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
@gomacocochan @osugi_akira それは「言葉にはできないけれどもわかるんです」みたいなことを許容しません。言葉にできないのなら「わからない」としてわからないものとして扱え、という話です。こういう意識が前提にあってキリスト教の神父にかれは質問したがっています。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
@gomacocochan @osugi_akira キリスト教の神にあたるような超越的なものとして、仏教の中では「涅槃、悟り」が挙げられます。そして、南師は「悟りとはなにか?お釈迦様も語っていないし、誰もわからない。道元もまずはわからないと言っている」と理解しているようです。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
@mentane @osugi_akira 『正法眼蔵随聞記』について話を聴けるなんていいですね。
— 高桑法子 (@gomacocochan) 2015, 1月 29
@gomacocochan @osugi_akira ぼくは仏教に詳しくないので、その価値はさっぱりわからないのですが、単純に南師の話はわかりやすくて面白いです。そして、多分、一般的な禅宗(曹洞宗)のお坊さんの解釈ともだいぶ違うのだと思います。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
@gomacocochan 多くの宗教は超越的な存在を無根拠にポンと持ち出して、そこにウットリする。それを仏教ロマン派などと言ってました。真言宗とか。彼はそれがどうしても納得いかなくて、キリスト教も一時期真剣に教会に通って学び、結局、禅宗にたどり着いたそうです。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
一神教の対義語に多神教があるような気もするが、原始仏教のような無神教というのも宗教の定義に含まれるのだろうか?それは「宗教」という言葉をどう定義するか、ということに直結しているのだろうけど。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29
真理とみなすか、仮説とみなすか。真理とみなした方が心が安定する場面も多い。世界をすべて仮説としてみなし続けるには相当の精神力が必要だし、それが有意義な人生につながるかどうかもよくわからない。それでも世界を仮説とみなし続けたい人たちは、もうそういう仮説マニア道にあるといえる。
— mentane (@mentane) 2015, 1月 29